入賞作品
第7回(2023年)の入賞作品
グランプリ 最優秀作品賞
子供のころ、夜寝る前の私に絵本を読んでくれたのは父でした。中でも、私の一番のお気に入りだったのが『ふしぎなおきゃく』です。
ふしぎなおきゃくを追って、森の中に迷いこんだ主人公のけんさん。
「くらい もりの なかに ぽちっと ちいさな あかりが みえます。」と父が読んだところで、私はいつも「ぽちっと?」と、たずねていました。そして父が「そう。ぽちっと。」と応じ、二人でふふっと笑いあうのがお決まりでした。
父の帰宅時間が、仕事の都合で夜中になる日々が始まったのは、私が3歳のことだったと思います。母は身体が弱く、入退院を繰り返しており、私は幼少期の多くを祖母の家で過ごしていました。
帰宅が遅い父が私のために用意したのが、『ふしぎなおきゃく』の読み聞かせを吹き込んだカセットテープでした。
寝る準備が整ったら、私はひとりで布団に入ります。電気を消した暗い部屋の中、「おうちに早く帰りたいな。お母さんはいつ元気になって会えるのかな?」と心細くなってきます。そんな不安な気持ちも、カセットデッキのスイッチを押すとたちまち忘れることができました。
スピーカーから聞こえてくる、父の優しい語り口。録音する際、私が傍にいたのでしょう。「ぽちっと ちいさな あかりが みえます。」のフレーズの後に、「ぽちっと?」とたずねる私の声も吹き込まれていました。「そうだよ」と言う父の返答を聞くと、父がすぐそこにいるような安心感が胸の中に広がります。その場面が来るのが毎晩の楽しみでした。
お父さんありがとう。私が寂しい思いのまま寝てしまわないよう、気遣ってくれたんだね。
「父との思い出が詰まった『ふしぎなおきゃく』は、時を経て、私の子供たちのお気に入りの一冊になりました。大人になってもこの絵本を繰り返し読む日が来るとは、思ってもいなかったことです。
今度、家族で里帰りをする際に、この絵本を父から孫たちにむけて読んでもらおうと思います。
館長賞 さっちゃん賞
仕事から帰宅すると家の中が真っ暗だった。悪い予感がした。今日の母は習字の稽古日で、もうとっくに帰宅している時間だ。置手紙もないし、母の習字の道具も見当たらない。習字の友達に電話すると、駅で16時に別れたと言う。たった1駅乗るだけだ。
駅に向かい、尋ねたが何もなかった。不安を抱えながら交番に走る。警察にも届け出はなく、自宅で待機するように言われた。時計は20時。4時間以上も母はどこにいるのだろう。交通事故、道端で倒れているのではと想像は悪い方へ悪い方へと膨らんだ。
電話が鳴る。受話器に飛びつくように出ると若い女性の声。母の名前を告げ、国道沿いで座り込んでいた母を保護して、コンビニの駐車場にいると言う。その場所は家とは反対方向の徒歩1時間はかかる距離だ。
迎えに行くと、母は小学生の男の子と後部座席にいた。よかったより先に「どうしたのよ」と怒りが口に出た。一緒にいた男の子が「だいじょうぶだよ」と言う。やっと我に返った。不安そうに母は家に帰る道を忘れたと言う。私を待つ間、男の子が絵本『だいじょうぶ だいじょうぶ』を母に読んでくれたらしい。車を出ようとする母に男の子が「この本あげる」と言う。ご両親がもらってもらえると子供が喜びますと言われて、素直にいただくことにした。これが母の認知症の始まりであった。
認知症はゆるやかに、進んでいった。あの保護された車の中で言えた家の電話番号も自分の名前さえ忘れていった。ひとつひとつできないことが増えた。母はいつも絵本を見ては「だいじょうぶ だいじょうぶ」と何度も何度もくりかえした。
ある日、母が私に「どなたですか」と聞いた。覚悟はしていたが私は絵本をそっと開く。涙で文字がかすむ。母の手を握り「だいじょうぶ だいじょうぶ」と口にする。きょとんとした母の顔が少しほころんだように見えた。
笑顔賞
まさか、この一冊がこんなにも素敵なものだとは、全く予想もしていなかった。
息子がひらがなに興味をやっと持つようになった頃、ガサガサと本棚から思い出したように取り出し、「これなら読めるよ。」と1文字1文字、指で字を押さえて確認しながら読み出した。ああ、息子が成長していっているんだなぁ、産まれた頃は私が読んでいたのになぁ、染々色々なことを思い出しながら、真剣な息子と絵本を見ていた。何度か読むうちに、スラスラと、表情や表現を加えながら楽しげに読むようになった。
「ひぃひぃおばあちゃんにも見せる」、そういって息子は絵本を抱え足早で近くの曾祖母の家へと向かう。
寝たきりの曾祖母に、「僕がきました。読んであげるからね。」と、横になっている曾祖母の横にゴロンと寝て読み始めた。曾祖母も何事だと驚いたように息子を見つめ、その後絵本に目をやる。あまり喋らず、いつも苦々しい表情の曾祖母であったが、次第に曾祖母に笑みが浮かび、「おわり」という掛け声に拍手をしていた。
それから何日も、『もこ もこもこ』を読み聞かせる。すると、いつからか曾祖母も顔を見合せながら、絵本のページをめくるのを今か今かとワクワクして楽しんでいた。そのやわらかな二人の表情と、笑いながら一瞬の時間を過ごす姿を見て胸があつくなった。
人と人が繋がる瞬間、想いが大切に大切に紡がれているそんな時間を私は目にしたような、あたたかい気持ちが「もこ もこ もこっ」と溢れて、「シュッ」「ぱちんっ」と弾けた。
一冊の絵本が人を紡ぎ、幸せがすぐ側にあること、意識してみることを教えてくれた気がした。
二人の笑顔を繋いだ絵本、もこもこっ ふんわ ふんわと膨らんだ沢山の幸せが、ぱちんっと音を立てて皆に広がればいいなぁ。そう感じた。
元気が湧く賞
小さな息子2人を抱え私はシングルマザーになった。必ず3人一緒に絵本を読むのが夜寝る前のルーティン。まだ幼い次男をおんぶし小さかった長男と手を繋ぎ、町の小さな図書館へよく通った。
絵本の中で「お父さん」その言葉が出てくると、どうしても言葉に詰まる。「お父さん居なくてごめんね」そう思うと我慢していた涙が溢れてくる。枕元の電気の薄明かりの中、息子達に気づかれないよう…涙を必死に抑える私の姿を幼い長男はいつから気が付いていたのだろう。
ある日「かあちゃんこれ! もう泣かないよ」と図書館の本棚から選んできたのが『こんとあき』。その息子の顔を見た時もう泣かない!と心に決めた。頭を撫でると得意げな顔で笑う長男の顔は今でも忘れていない。
私が「こん可愛いねー」と言うと「かあいいねー」と笑う長男。その横でまだ小さな次男も声を出す。「いたいいたい とでけー」と覚えたての言葉で、電車のドアに挟まったコンのしっぽの絵を長男が撫でると次男も一緒に触ろうと手を伸ばす。そして、こんの口ぐせの「だいじょうぶ だいじょうぶ」は、いつしか「かあちゃんダイジョブ ダイジョブ」へと進化し長男の口ぐせとなった。その言葉に私は何度励まされた事だろう。
その後、その絵本を購入し何度も読んだ。その絵本は私たちの宝物だったが、あの津波で流されてしまう。あれから年月が過ぎ私の脳裏からは遠のいていた。
22歳になった長男から先日、写真付きのラインが届いた。「図書館で見つけた! 覚えてる? なつかしー」の文章と『こんとあき』の表紙の写真。
「かあちゃんダイジョブ ダイジョブ」と言ってくれた幼い長男の姿が浮かぶのと同時に涙が溢れる。涙で目の前がかすむ中「覚えてるよ! ダイジョブ ダイジョブ」と返信、息子からは「そうそう笑」3人で過ごしたあの時を今でも覚えていてくれたのかと思うと、嬉しくて再び涙が溢れた。
絆賞
福岡東南ロータリークラブ賞
私が小学生の頃、寝室は祖母と一緒だった。布団に入ったら祖母はイソップ物語の作品を読んでくれていた。私は特に『うさぎとかめ』の童話が大好きで、毎日のように祖母にリクエストしていた。その頃の私はのろまで、走るのもクラスで一番ビリだった。勉強だって、どんなに易しいテストでも百点なんか取ったことがなかった。それに比べて4つ下の妹は、利発で運動神経も抜群で、いつも周りから褒められていた。
私は物語の中のかめさんが自分のことのように思えて、祖母が読んでくれている途中で、泣いてしまったことが何度もあった。祖母は読み終えた後、私の頭を撫でながら言った。「カメさんはうさぎさんがお昼寝している間にも諦めないで走り続けていたから、うさぎさんに勝てたの。人間だって同じだよって、この作品は教えてくれてるんだよ。だからあなたも毎日コツコツと頑張ってたら、必ずいいことがあるからね」
私が中学生になったのを機に、私は個室に移ることになり、今度は妹が祖母と一緒に寝ることになった。私と祖母との楽しい時間はこれで終わりとなった。
あれから長い長い年月が経ち、祖母は94歳で他界した。 お通夜の日、妹と二人で祖母の思い出話をしていた時、ふと『うさぎとかめ』の話になった。妹もこの物語が大好きで、祖母に読み聞かせをしてもらっていたらしい。「おばあちゃんは読み終わった後に、いつも私に言ってた。『うさぎさんは油断しなければ必ずかめさんに勝てたんだから、あなたもいくら出来るからって、油断しちゃダメだよ』って」私は妹の言葉を聞いて、祖母は物語の教訓を、その子の能力に応じて、私と妹と使い分けていたことを、その時初めて知った。そのお蔭で私はずっと希望を持ち続けられたし、妹は自分を過信せず、怠けないで頑張れたのだと思う。
私にも幼い孫が二人いる。それぞれの孫に、どんな風に『うさぎとかめ』の教訓を伝えようかと、今、考え中だ。