入賞作品
第8回(2024年)の入賞作品
グランプリ 最優秀作品賞
息子が小学三年頃のこと。いつの日からか会話の最後に、息子が「大好きだよ。」と付けるようになった。出かける時に「行って来るね。大好きだよ。」、電話を切る時に「じゃあね、大好きだよ。」、寝る前に「おやすみ。大好きだよ。」と言った具合だ。言う相手は、私と夫、夫の両親と二人の姉、私の母の七人だ。他の親族には言わないので選ばれた七人だ。
ある時、息子がこう聞いてきた。「僕が学校行く時とか、電話切る時に、なんで『大好きだよ。』って言うか分かる?」
私が「なんで?」と聞き返すと、「僕かお母さんたちがもし急に死んじゃったら、最後の言葉を『大好きだよ。』にしたいからだよ。」と。
それを聞いて、ピンときた。ハンス・ウィルヘルムの『ずーっとずっとだいすきだよ』に影響されたのだ。この絵本は、学校の教科書に載っていて、音読で繰り返し聞かされ、「いい話だなぁ。」と思っていたので、よく覚えている。
飼い犬エルフが亡くなり、家族は皆悲しんでいる。主人公の「ぼく」も悲しくてたまらないが、いくらか気持ちが楽だった。なぜかと言うとエルフに毎晩、「ずうっと大好きだよ。」と言っていたからだという話だ。
私は、息子の発想に衝撃を受けた。大事なことを教わった気がした。
小学生で終わると思っていた息子の「大好きだよ。」だが、中学生、高校生になっても続いた。反抗期中でさえ、言い続けてくれた。私たちも「大好きだよ。」と応え続けた。
夫の両親はすでに亡くなったが、息子が望んだ通り、最後の言葉は「じいじ、大好きだよ。」「ばあば、大好きだよ。」となった。
さすがに社会人となった今は、回数は減ったが、時たま思い出したように「大好きだよ。」と言ってくれる。
三年前から我が家でも犬を飼い始め、その可愛さに家族皆メロメロになった。私は愛犬に「大好きだよ。」と一日に何度も言う。息子にもたまに。夫には照れ臭いので心の中で。
いつか別れがきた時、最後の言葉になるように。
館長賞 さっちゃん賞
息子が幼い頃、寝る前のひとときによく絵本を読んだ。私はいつも、雲に乗って旅したりお月様と話したりする楽しい本を選んだ。息子は毎晩、笑顔で眠りについた。
このころ、私には息子に読みたい本があった。『トビウオのぼうやはびょうきです』。水爆の犠牲になったとびうおの物語だ。
息子には、いつも楽しいことを夢見て笑っていてほしい。そう願っているのに、わざわざ病気や死の悲しい物語を読んでいいのだろうか。だけど一方で、こういう世界もあることをぜひ知ってほしかった。この本を読む適切な時期はいつなんだろう。私はためらい迷った。
そんなある日。読み聞かせの会に参加した時のこと。私は講師にその疑問をぶつけてみた。
「確かに、こういった不特定の子供たちが集まる所では楽しい話を選ぶようにしています。だけど母と子のように絆があり、信頼関係があるときは大丈夫ですよ。幼い子供でも十分理解する力があります。こういったことを起こさないためにどうすればよいのか一緒に考える時間になるといいですね」
その夜、私はベッドに並んで、この絵本をゆっくりと読み始めた。息子は何も言わずに聞いていたが本を閉じると、「助かるよね。このぼうや助かるよね。おとうさんも帰ってくるよね」涙ぐみながら何度も聞いてきた。
私が首を横に振ると、「ひどいよ!なんでこんなことが起きるの」と泣きながら抱きついてきた。私は核の恐ろしさや悲惨さ、平和の有り難さを、できる限りわかりやすい言葉で語った。そして、本の最後にあるビキニ諸島での水爆実験の話もした。
5歳だった息子がどれだけ理解できたかは定かでないが、彼の真剣な表情から、きっと心の奥に強く響いたのだと思った。
数年後、学校で「自分にとって特別な本」を1冊紹介することがあった。息子はこの本を選んで、一言欄に「争いのない核のない世界になりますように」と書いた。
福岡東南ロータリークラブ賞
泣き虫で、不器用で、要領だってよくなくて、どこか頼りない。そんな象のぐるんぱ。
子供の頃から、そんなぐるんぱが気になって気になって仕方がなかった。決してヒーローでもない。カッコよく目立つわけでもない。デキル象でもない。それなのにどうしてだろう。ぐるんぱに惹き付けられるのだ。そう。私はぐるんぱが大好きだ。
素敵な象になるために旅にでても失敗だらけ。「もうけっこう」と言われてばかり。しょんぼりして、がっかりして涙があふれそうになって。
ぐるんぱのそんな気持ち、私には痛いほどわかる。大人になっても、『ぐるんぱのようちえん』が大好きで、何度も絵本を開いてぐるんぱに会いに行くうちに気がついた。ぐるんぱは、「私だ」と。
幼稚園の頃、運動靴の左右が分からず逆に履き、何度も注意されたり、帽子の前後が分からずに逆にかぶっていたり。ぼんやりしていて、メソメソしていて。「早くしなさい」「どうして皆と同じようにできないの?」そんな言葉でいっぱいだった子供の頃。
どうやったら皆と同じようにできるんだろう? 皆のペースにあわせていけるんだろう? ちゃんとしているつもりが失敗だらけ。
ぐるんぱもたくさん失敗したけれど、たどり着いた場所はぐるんぱの「良さ」をちゃんと活かせる場所だった。ぐるんぱが自分自身の良いところ、自分らしさを全面に出して、楽しくて素敵な幼稚園を開けたように、私も自分らしさを大切にしながら、大好きなことをコツコツ楽しみながらやっていけたら幸せだ。誰かと同じじゃなくていい。自分の良いところをきちんと活かして表現したい。
大人になった今、ぐるんぱが私に教えてくれる。私の背中を押してくれる。「自分を失くさないで」「自分を信じて」と。涙があふれそうになったら、絵本の扉を開こう。ぐるんぱのチャーミングな笑顔が、私に勇気をくれる。
笑顔賞
髄膜炎が重症化し、長期入院していた弟。当時まだ三歳だった私は、母に連れられて毎日病院へ行くが、面会はできない。いつも母は、売店で絵本を買ってくれた。私は、その絵本を持ってロビーの椅子に座り、留守番をする。なるべく長く絵本の世界にいられるように、時間をかけてゆっくり読んだ。
幼稚園では、先生が読み聞かせをしてくれる時間があった。「絵本は一人で読むもの」という意識があったので、その時間が一番嬉しかった。
幼稚園が夏休みに入ると、私は祖父母の家に預けられた。祖父母は、たくさんのオモチャや絵本を用意してくれていた。この中に『おおきなかぶ』の絵本があった。
幼稚園と同じ絵本だと飛びつくと、祖父はすぐに手に取り、読み聞かせてくれた。ワクワクしながら聞いていたが、途中から視界がぼやけて絵が見えなくなり、祖父が読み終えるとワンワン泣いた。祖父母は心配し、どうしたのかと聞いてくるが、説明したくなかった。
時は経ち、娘を出産した。絵本が大好きな子だ。最近は、絵本の登場人物を娘の名前に変えて読むように指示される。ある日、図書館で、「このお話知ってる!」と『おおきなかぶ』を引っ張り出してきた。娘に言われるままに、孫の部分を娘の名前に変えて読む。すると途中で娘が遮った。「このお話、変だよねぇ? じぃじとばぁばじゃなくて、ママとパパにして!」
ブワッと過去の記憶が蘇る。ママは弟のことばっかり、私はいつも一人ぼっち。絵本の中でも、私はじぃちゃんとばぁちゃんといる。あの時、逃げ場だったはずの絵本の世界にも見捨てられた気がした。寂しくて悲しくて辛かった。
そんなトラウマを、娘は「変!」と一言でバッサリ断ち切ってくれた。もう私は一人じゃない。可愛くて心強い味方が、いつでもそばにいる。
今日も私は絵本を読む。娘の居場所がたくさんあるように、心がいつでも満たされているように、と願いながら。
元気が湧く賞
かつて私は、小学校の図書館司書をしていました。辞めてから、もう7年以上たちますが、今もこころに残る子がいます。
その頃、7時半過ぎには学校に着いて図書館に向かうと、いつも前で待っている子がいました。2年生のKくんです。Kくんは入るとすぐに、絵本コーナーからからすのパンやさんを手に取ります。毎日同じ本の同じページを見るのです。
「いろんなパンがあってたのしいね」と話しかけると、「おいしそうや」と答えます。
かにパン、テレビパン、うさぎパン、じどうしゃパンと、さまざまなパンがズラリと並んでいます。「どのパンが好き?」と聞くと、必ずりんごパンと返事。貸し出し中の時は、とても寂しそうな顔でした。
ある日、「Kくんのお家では、朝はいつもごはんだからパンが食べたいのかな?」と言ったら、「朝ごはんは食べてきた事ない」と、ぽつりと答えました。
次の日から、小さなおにぎりをこっそり渡し、となりの準備室で食べるように促しました。
1週間続いたでしょうか。Kくんは突然、来なくなりました。担任の先生に伺ったところ、児童施設に入ったので、その近くの小学校に転校したとのことでした。
詳しい事情は知りません。当時の私の行動が良かったかどうかもわかりません。
時々、本を借りに図書館へ行きますが、どうしても絵本コーナーで足が止まります。親子仲良く絵本を選んでいる様子を眺めながら、『からすのパンやさん』のりんごぱんを指さす、小さいまんまのKくんを思うのです。