入賞作品
第9回(2025年)の入賞作品
グランプリ 最優秀作品賞
一昨年の冬のことである。私の心臓に異常が見つかり、手術が必要だと言われた。これまで大病とも大怪我とも無縁の人生。手術はもちろんのこと、入院もしたことがなかった。しかも、手術では一度心臓を止めるという説明を医師から聞かされていた。
生来、臆病な性格の上に、何でも悪い方へ考えてしまう私は、もし止めた心臓が動き出さなかったらどうしようと怯えた。どうしようも何もない。心臓が動かなければ、この世にさよならと言うしかないのだ。
手術の日が決まってからというもの、不安のあまり、食欲は失せ、不眠症に陥ってしまった。そんな中での、とある日曜日のこと。どうにも体が重く、ソファーに横たわって微睡んでいると、娘の声がすぐ傍から聞こえてきた。
「もりのはずれに、ふたつのいえがありました」
その出だしだけで、私はすぐに思い出した。娘がまだ幼稚園に通っていた頃、大のお気に入りだった絵本だ。
くまくんのことが大好きで仕方がないこりすが、くまくんに喜んでもらいたくて、様々なプレゼントを提案するのだが、くまくんは「なんにもいらないよ」と言う。
「きみとここにいるだけで、ぼくはとてもしあわせなんだ」
そうして、くまくんとこりすは、仲良く一緒に暮らし始めるところで、物語は終わる。
娘の、突然の読み聞かせだった。読み終えた娘に、「どうしてこの絵本を読んでくれたの?」と思わず尋ねた私に、娘はこう答えてくれた。
「私もくまくんと同じ気持ちだから。パパが元気で一緒にいてくれたら、幸せだから」
気が付くと私は、泣きながら娘を抱きしめていた。そして、「手術頑張るからね」と約束したのだった。私の心を救ってくれたのは、娘からの幸せな贈り物だった。
手術は無事に成功し、娘はこの春、中学生になった。その絵本は、娘の部屋の本棚に、多くの本に挟まれて今も残っている。
いつの日か、娘の大切な人に、読み聞かせてあげるつもりなのかもしれない。
館長賞 さっちゃん賞
今から二十七年ほど前、私が幼稚園に通っていたとき、祖父が心臓病で病院に運ばれた。主治医は、「重症で命の保証ができない」と宣告した。
両親を始めとする親族が右往左往する中、私は今まで感じたことのない恐怖を感じていた。祖父は私と一緒に遊んでくれたり、いろんなところに連れていってくれたりする優しい人だった。私は祖父のことが大好きで、祖父がいなくなるのは嫌だった。自然と涙があふれた。
そんなとき、幼稚園で読み聞かせてもらった『モチモチの木』の話を思い出した。怖がりの豆太は、祖父のために勇気を出して夜道を駆け抜け、医者を呼びにいった。私も祖父のために何かしたかった。でも、何をすればいいのだろう?
私は祖父のためにできることを懸命に考え、神様に祈ることにした。夜になると、祖父の写真を手にして「お祖父ちゃんを助けてください。神様、お願いします」と拝み続けた。その姿は鬼気迫っていたようで両親はやめるようにと、何度も促した。しかし、私は願うのを止めなかった。
結局、祖父は一命をとりとめた。祖父が助かったことを知らされると、私は大泣きして喜んだ。
祖父が退院すると、家で快気祝いを開いた。宴もたけなわの頃、祖父は不思議なことを口にした。
「三途の川を渡りかけたとき、神様がやってきてこう言ったんだ。『お前の孫が懸命に頼むのでお前を現世に返すことにした。孫に感謝するように』ってな」
私は、「神様に願いが届いたんだ」と思った。
それから祖父は二十年以上生き、私は祖父とかけがえのない思い出をたくさん作ることができた。これは、幼いときに祈ったお陰だった。
私が「神様に祈ろう」と思ったのは、『モチモチの木』を読み聞かせてもらったからだ。『モチモチの木』のお陰で、私は祖父と二十年以上も余計に過ごすことができた。だから、『モチモチの木』には感謝してもしきれない。
『モチモチの木』ありがとう。
福岡東南ロータリークラブ賞
幼い頃、年度末になると母の仕事が繁忙期となり帰宅が遅くなるため、私たち姉弟の面倒をみる目的で毎年、母方の祖母に2週間ほど泊まり込みで来てもらっていた。
祖母は遠方に住んでいたので、一緒にゆっくり過ごせるこの期間は貴重だった。祖母の子供時代の話を聞いたり、手料理を食べたりする時間は、私の楽しみでもあった。
私が6歳の春、公民館で絵本の読み聞かせ会が開催され、祖母と一緒に参加した。その時に読まれたのが、絵本『おばけのてんぷら』だった。
かわいらしいうさぎさんが、てんぷらを作る印象的なストーリーに引き込まれた私は、帰りの道中、テンションが高かった。「おばけのてんぷらってどんな味かな。ねぇおばあちゃん、おばけのてんぷら作ってよ!」
そう声に出した時、つないでいた祖母の手がびくんと動いたことを覚えている。想定外のリクエストが飛んできて、驚いたのだろう。ともあれ、祖母はおばけのてんぷらを作ることを了承してくれた。
翌日夜、食卓にてんぷらが登場した。「おばけのてんぷらはどれ?」
「これだよ」ナスやカボチャなど、いつものてんぷらが並ぶ中、祖母が指さした先に、白っぽい色をしたおばけのてんぷらが!
「いただきます」どきどきしながら口に運ぶ私。頬張ると、やわらかな食感と共に、甘くふんわりとした味わいが広がった。
「おばあちゃん、おばけのてんぷら、おいしいね」
絵本では描かれなかった、おばけのてんぷらの味を体験できた私は、歓喜してたくさん食べた。そんな私をニコニコ見つめる祖母の優しい眼差しは、今でも忘れられない。
後年、あの時のおばけのてんぷらの中身は玉ねぎだったと、母から聞いた。当時、食わず嫌いで玉ねぎを避けていた私に、食べさせる絶好の機会として祖母が利用したという。
祖母が亡くなり15年以上経つが、おばけのてんぷらは、祖母と私を繋いでくれている。
おばあちゃん、あの時、私の無茶ぶりに応えてくれてありがとうね。
玉ねぎのてんぷらは、今や私の大好物だよ。
J:COM賞
新米ママだったころ、私は赤ちゃんが苦手だった。生まれた瞬間から「おぎゃあ!」と泣き、お腹が空いては泣き、おむつが濡れては泣き、起きている時間は泣いてばかり。「赤ちゃんは泣くのが仕事」とはいうけれど、当時の私は我が子の泣き声を聞くたびに「また始まった」とため息をついていた。
やがて我が子はよちよち歩き出し、「おなかすいた」「おしっこ」など、少しずつ言葉を話すようになった。けれど、思い通りにならないだけで涙する姿は変わらず、「そんなことで泣かないでよ!」と、つい強く言ってしまうこともあった。
そんなときに出会ったのがディック・ブルーナの『どうしてないているの?』という絵本だった。主人公の女の子が、「豆が嫌い」「鉛筆の芯が折れた」「クマちゃんの目がひとつとれた」などと泣いている姿はまるで我が子のようで、私は苦笑しながらページをめくった。
ところが、いざ我が子に読み聞かせをしてみると、くすりとも笑わない。それどころか、驚くほど真剣な表情で聞いている。そして、泣いていた女の子が照れくさそうに笑いながら、「こんなことで なくなんて、わたしって へんなこ?」ときく最後のシーンで、即座に答えた。
「ぜーんぜん、変じゃないよ!」
そのときの衝撃はいまでも忘れられない。なんてまっすぐで優しい言葉だろう。そう、涙にはちゃんと理由があるのだ。大人でも子どもでも、それは変わらない。
それからというもの、私は子どもが泣いているときは、必ずその理由をたずねるようにしている。どんなに小さな理由でも、子どもにとっては大切なこと。その声にきちんと耳を傾け、真剣に受け止められる母になりたい。そして、あの日、子どもがくれたまっすぐな言葉を、そのまま返してあげたい。
「泣きたいときは、泣いていいんだよ。ぜーんぜん、変じゃないよ!」
元気が湧く賞
「男性はすぐに父親にはなれない」というフレーズを目にしたことがある。
初めての子どもが我が家に生まれたとき、私は三十七歳になっていた。独身が長かったこともあって、家事はひと通りできるつもりだ。ただ、家事と育児は違う。家事はタスクを終わらせることを目的にすればいいが、育児はシステマチックに進まないし、そもそも明確な終わりもない。
絵本の読み聞かせもそうだった。一歳の息子に本棚から好きな一冊を選ばせて、隣でページを開き、なるべくゆっくりと落ち着いた声で読み進める。息子は、絵本のイラストを真剣な目で見ていた。けれども、反応は薄く、読み終える頃にはわずかな喉の渇きだけが残った。
そのうちに、息子は妻のもとで絵本を読んでもらうようになった。それを見て、私は嫉妬してしまった。自分の読み方では、つまらないのだろうか。
そんな矢先に、『ノラネコぐんだんパンこうじょう』という面白い絵本に出会った。夜の静寂に紛れて忍び込み、見よう見まねで勝手にパンを拵えようとする。結果的に、パン焼き釜の爆発で工場を木っ端微塵にしてしまう──そんな顛末には、静と動の面白さが色濃く詰まっていた。
その日、私は息子を膝に載せて読み聞かせを始めた。大事なのは臨場感だ。物語の中盤、大きく膨れたパンが焼き釜を膨張させる辺りで、膝を少しずつ揺らし始める。揺れを次第に大きくさせ、見開きに「ドッカーン!!」と書かれたページを開いた瞬間、ふわりと、跳ね上がるように息子の体を浮かせた。
息子は笑った。キャッキャッと声をあげて、いつまでも笑っていた。
この瞬間、私は少しだけ、父親に近づくことができた。
現在、息子は三歳になったが、今でもこの絵本がお気に入りで、読み聞かせをせがむ際には必ず私の膝の上に乗ろうとする。あの日より重くて大きくなった体でも、私はいつまでもふわりと浮かせられるはずだ。