入賞作品

グランプリ 最優秀作品賞

梶原 典明 さま
『みえるとかみえないとか』 作:ヨシタケシンスケ 相談:伊藤亜沙 
出版社:アリス館

十二年前、産まれたばかりの息子を見た時、看護師さんの言葉に私は耳を疑った。「右耳がないんです」。小耳症という何万人に一人の確率で発症する病気で、治療法は確立されているが、塞がれた右穴部分に穴を空けても聞こえるようになる確率は限りなく低いと言われた。妻と一緒に泣いた。なぜ。なぜ我が子がこんな目に。

左耳が聞こえてくれたのは幸いだったが、見た目でいじめられないか、不安は日に日に膨らみ、妻と二人、全国の病院に行っては、救いの言葉をかけてくれる医師を探し回った。三重県の国立病院の女医さんと出会った時、一冊の絵本を薦められた。
それがヨシタケシンスケさんの『みえるとかみえないとか』という絵本だった。内容は、宇宙飛行士の僕がいろんな星を調査。目が三つあったり、一つ目だったりなど様々なタイプの宇宙人が登場する。それぞれ楽しく暮らす宇宙人たちにとって、目が二つあって当たり前という概念はなく、目が見えないのも個性で、目がみえないからこそ、楽しめる世界もあるということを教えてくれる内容だった。

後日、その女医さんから手紙が届いた。「お父さん、お母さん、自分を責めないでください。大丈夫、息子さんは息子さんでしっかり成長していきますから。息子さんと対話して生きる方が大切ですよ」と綴られていた。涙ながらに手紙を読んだ私たちは考え方を変えた。「物事は捉え方次第。自分たちの物差しで、それは障害だ。それは不幸だと決めつけないこと」を決意し、息子に絵本を渡した。

去年の春、小学六年生になった息子が「医者になりたい。中学受験したい」と言い出した。それから息子は猛勉強。今年三月に合格を果たし、今では、毎朝、教科書でパンパンに膨らんだカバンを持って、近くのバス停まで歩いていく。そのカバンには、あの絵本が入っていることを私も妻も知っている。

頑張れ、私たちの息子よ!

館長賞 さっちゃん賞

西田 さま
『花さき山』 作:斎藤隆介 絵:滝平二郎 
出版社:岩崎書店

私は子どもの頃からたくさんの絵本と出会い、絵本に支えられてきた。母親となってからも息子達と一緒に絵本を読むと、とても穏やかな気持ちになれた。その中で、いつ何度読んでも同じ場面で胸がいっぱいになる絵本がある。それは、花さき山。

私と1つ年下の妹を、母は働きながら1人で育ててくれた。 妹は生まれてすぐぜんそくで入院し、退院してからも熱を出しては母が病院へ連れて行く事が度々あった。私は病弱な妹の事がとても心配だった。けれど心のどこかで“私も妹の様にずっとお母さんと一緒に居れたらいいのにな…”という本当の気持ちは、決して口に出してはいけない様な気がしていた。

少し大きくなり、字が読める様になった私は“花さき山”と出会った。~じぶんのことより ひとのことを おもって なみだを いっぱい ためて しんぼうすると、その やさしさと、けなげさが、こうして 花になって、さきだすのだ。~という場面があり、そこにはたくさんの色とりどりの花が、それはそれは美しく咲いている。そのページを開くと、“もしかしたら私の思いは花さき山に届いているのかもしれない”と思えた。

やがて妹が回復し元気になり始めた頃、私はそれまで出した事のなかった勇気をふりしぼり、母に1つお願いした。「お母さんのとなりで寝てもいい?」と。すると母は「おいで」と、布団に私の寝場所を作ってくれた。あの時の嬉しかった気持ちと母のぬくもりは、40年以上経った今でも鮮やかに記憶に残っている。

そして今の私は、あの頃の母に思いを寄せる事が出来る様になった。母1人で子ども2人を育てる事がどんなに大変だった事か。寂しく辛かったのは、私よりもきっと母であったはず。困難を乗り越えながら、1人で私達娘を育ててくれた母がこの世に咲かせた花はどれほど力強く美しかっただろう。

“花さき山”は、私にとって母のぬくもりと感謝の気持ちがいっぱい詰まった特別な一冊である。

館長賞 さっちゃん賞

PN 泉 カンナ さま
『かぜのでんわ』 作・絵:いもとようこ 出版社:金の星社

昨年の夏、悲しい出来事がありました。私の大切な人が亡くなったのです。

あまりに突然の別れに、悲しみと驚きと困惑がごちゃまぜの状態。彼がもうこの世にいない現実を受けとめられない私がいました。「心にぽっかり穴があく」「心がからっぽ」
本でよく見るフレーズに初めて自分が陥りました。
そんな時、ふらっと寄った本屋で出会った絵本があります。
『かぜのでんわ』です。東日本大震災のあと、実際に設置された風の電話ボックスをモデルにした絵本です。ウサギさんが瞳をとじ、思い悩んだ表情で電話している表紙がなんとも切なく印象的でした。

山の上にある電話は、誰でも自由に使え、誰とでも話ができますが、電話線がつながっていません。「電話線がつながっていない?誰と話すの?」と思いますよね。
そうなのです。この電話は、もう会うことができない人に想いを伝える電話なのです。
この絵本を読んだ時、自分と重なる想いがあり、なんとも複雑な気持ちになりました。大切な人との突然の別れ。心の整理がつかない日々。心のモヤモヤ、受けとめられない現実。どうしたらよいか分からなくなり自問自答。それはきっと、伝えたい想いがあるのに伝えられないもどかしさ。だから、心がいつまでもざわざわするのだと気付かされました。
『かぜのでんわ』は、今はそばにいない人へ自分の素直な気持ちを伝える場所なのです。想いを届けることで心が楽になる事を知りました。

私はこの絵本を読んでから、『かぜのでんわ』の代わりになる場所、空を見つけました。旅立った彼がいる空を眺めて、彼に語りかけるのです。一方通行な語りかけに彼は笑っているかもしれませんが、心が救われます。心が落ち着きます。ぽっかり穴があいてしまった心にも、一輪の花が咲いたように穏やかな気持ちになれます。この温かな気持ちのまま、彼が好きだった春を迎えたい。その頃には、心の穴もたくさんの花で埋められている気がします。

笑顔賞

坂本 珠恵 さま
『ちびくろさんぼ』 作:ヘレン・バンナーマン 絵:フランク・ドビアス 
訳:光吉夏弥 出版社:瑞雲舎

子供の頃、住んでいた長屋の並びに3姉弟がいた。1番上が小学2年生、次が幼稚園年長、末っ子の弟は4歳だった。親同士が親しかったこともあり、小学4年だった私は姉ちゃん風を吹かせてよく遊んだ。

春、3人の母に病が見つかった。その時点で余命宣告がなされた。父親が慣れない家事をこなし、休日出勤の日には3人で留守を守っていた。

雨の日曜日、私は絵本を何冊か持って3人の家へ行った。その中に『ちびくろさんぼ』があった。4匹の虎がぐるぐる回ってバターになる。さんぼの母がそれでホットケーキを焼くくだりで、末っ子が「ホットケーキ食べたい」と言い出した。姉達もねだる。
「ようし、作ってあげる」私は家に帰り、母に見つからぬようホットケーキ粉と卵と牛乳を持ち出した。ばれたらきつく怒られると思ったが、はしゃぐ3人を見ているとそれでもいいと思った。小1時間後、出来上がったホットケーキは黒焦げで、『ちびくろさんぼ』のそれとは似ても似つかないシロモノだった。それでも3人は喜んで食べてくれた。

半年程して3人は、田舎の祖父母の元へ引き取られて行った。「おばちゃん亡くなってん」と母が真っ赤な眼をして言った。バイバイも言えなかった。

ホットケーキは好きだ。今でもよく焼く。でも、ホットケーキは哀しい。同じように「ちびくろさんぼ」も哀しい。
孫たちが「読んで」と『ちびくろさんぼ』を持ってくると、私はホットケーキの場面で必ず涙声になる。
あの時の3人の笑顔は今でも鮮明だ。

元気が湧く賞

古賀 幸子 さま
『おおきなかぶ』 再話:アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ
画:佐藤忠良 訳:内田莉莎子 出版社:福音館書店

「うんとこしょ、どっこいしょ、まだまだかぶはぬけません」この有名なフレーズは知らない人はいないのではないでしょうか。
幼稚園生の頃、8歳年上の姉がよくよんでくれた『おおきなかぶ』という絵本です。
姉は生まれつきの脳性麻痺で肢体不自由ということもあり、私が物心ついた時は、学校には通えず家庭教師と学習している姿が当たり前でした。私も姉の学習中、一緒に御座ってぬりえをしたり、学習終わりにおやつを食べたり、今思えば邪魔していたのかもしれません。

姉は身体が不自由なだけで、読み書きも得意、頭の回転も速くおしゃべり好き、まだ小さかった弟の世話に追われる母に代わり、私のお世話役となっていました。
一方で私はいつもぼんやりした性格で姉は口先で私に指示をして、出来ない事を出来る私が指示通りに動くという、お互いが助け合う関係でした。

読書好きな姉は絵本の読み聞かせもしてくれ、この『おおきなかぶ』もよく読んでくれました。物語をアレンジして読んでくれたりもして、特に思い入れのあるアレンジは、登場人物に我が家の家族が次々に現れ、飼っていた犬まで登場します。そしてみんなでおおきなかぶをぬくのです。姉の読んでくれる『おおきなかぶ』の中だけでは、普段歩く事も踏ん張る事も出来ない姉も一緒にかぶをぬく事が出来るのです。お話のアレンジはかぶがぬけた後も続き、かぶを近所にお裾分けして、残ったかぶでシチューを作って皆で食べて終わります。お話が終わっても幸せな気持ちになりました。

そんな姉、今では実家を離れ一人暮らし、車の免許証まで取得し、身体が不自由な事を忘れるくらいアグレッシブに絵手紙作家として立派に自立をしています。何でも挑戦する姉は、おおきなかぶをぬいた時のように、皆んなの力を借りれば出来ない事なんて何も無い、私も負けないように頑張らねばと自らを奮い立たせてくれる存在です。

絆賞

本岡 涼 さま
『おかえし』 作:村山桂子 絵:織茂恭子 
出版社:福音館書店

「もっかい?」「うん!もっかい読んで!」私がお母さんと唯一ゆっくり過ごせる時間、それは寝る前の絵本の時間だった。小さな部屋を薄暗くして、一緒の布団にもぐり込む。「おかえしのおかえし!そう言って…」そうやって絵本を読んでくれる優しい母の声が、私の心をじんわりと温めた。

小学4年生の秋。その日も学童の居残り時間を、絵本を読んで過ごしていた。「りょうちゃん、お母さんが迎えに来たよ。」先生の声に顔をあげると、時計の針は19時を指していた。「ごめんね、仕事が長引いちゃって。」そう言いながら手を差し伸べる母。少しむくれている私を見て母が言う。「今日も、“おかえし” 読もっか?」そう言われると、私は無条件で笑顔になると知っているからだ。

“おかえし”は、新しく引越してきたキツネの家族が挨拶がてら、お隣にいちごを持って行くお話。お返しをタヌキが持っていき、そのお返しをまたキツネが…。いつまでも続く思いやりの交換に私はいつもクスクス笑いながら、何度も母に読み聞かせをリクエストしていた。3回、4回、5回…何度頼もうと、母は一度も「自分で読みなさい」と言ったことがなかった。どんなに仕事で疲れていようが、どんなに帰りが遅くとも、私が寝るまで読んでくれていた。「おかえしのおかえしのおかえしです…」

大人になった今、寝れない日があると私はあの日の懐かしい記憶を思い出す。ひとり暮らしの小さな部屋を少し暗くして、母に電話する。「もしもし、私。」声のトーンで母は私が元気でないことがすぐにわかる。数日すると、実家で獲れたたくさんの野菜と一枚の手紙が送られてきた。「つまらないものですが、電話をくれたおかえしです。」母は私の全てをわかっていた。ギリギリの時に優しい言葉をかけられると、涙が出てしまうこと。涙は私を弱気にさせてしまうこと。だから、これは母なりの励ましだった。

私が小さかった頃、いつも読んでいた絵本。おかえしを永遠にし合うお節介な優しさに、私は溢れる愛情を感じていた。ずっと、優しさが続く心地よさ。私と母の関係のように。
私は、これからどんなお返しができるかな。